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2018年05月26日

22日(火)の夕方に伯父が亡くなりました。

自分の人生に影響を与えられたランキングのトップ5には間違いなく入る人で、人生の半分以上の時間同じ家に住んでいたので当たり前なんですが、それだけではなくて、社会との折り合いが物凄く悪い人だったので、それもあって色々影響を受けています。(昔、人に対する態度がおかしいと指摘された時に、伯父さんがこういう人で、その時にこうするのが良い方法だからこうしている。と答えたら、そういう特殊な事例を基準にして考えるな、と怒られたことがありました。)

おそらく完璧主義者で、おそらく努力家で、おそらく自尊心が高く、とてつもなく不器用で、自分が子供だった頃には色々あって、結局、仲良くなれた(様な気がする)のは、伯父さんの自我がある程度以上無くなってからの様な気がします。

ここ何年かは自分がとても愛情を持って接することが出来ていて、昔だったらとてもそんなことは考えられなかった。

ここ何年かは自分で食事をすることも出来なくなっていて、17年には3回誤嚥性肺炎で入院して、その度にお医者さんからは、口から物を食べされるのは無理です。と言われたのだけど、家族の方針として、口から物を食べる以外の方法で生きるのに必要な量の栄養を取るのをやめよう、その結果亡くなることがあっても仕方が無い。というのを決めていたし、そういう無理を聞いてくれるホーム(人たち)にも会えていたので、とにかくその方針で進んでいて、

春先に高熱が出て明らかに一段落ちて、少し良くなったりもしたのだけど、だんだん食事自体が難しくなって、

肺炎で入院していた頃は、肺炎で入院をして、そのまま、というのを想像していて。
ここ何日かは、本当に何も食べられなくなって、じゃあ仕方がないってなって、2日ぐらい家に帰ってきて、そのまま、というのを想像していたのだけど、

結局、水を飲んで、そのまま、という感じだったみたいです。

母は、その瞬間に立ち会えた様なので、とても良かった。自分は間に合いませんでした。

苦しそうでは無く、キリっとした顔で寝ていて、暖かいし、体調が良くなったんじゃないか、と一瞬勘違いをして、でも息をしていなくて、自然と涙が流れてきて、ああ泣くんだなと思いました。

死亡診断書を書いてもらうためにお医者さんが到着して、(元々は酸素吸入器のための診察だったのだけど、)きちんと死亡が確定して、また泣く。

元気だった頃に来ていた様な服を着せてあげたいということになり、駅前で買い物をして、スーツのパンツの裾上げがあったので、ホームと店を2往復して、裾上げをしたパンツを持って戻った時に、元気だった頃の様な服を上半身だけ来ていて、うわぁってなりました。で、泣く。

お世話になったヘルパーさんたちが和気藹々と支度をしてくれていて、母親も、そこの責任者の人もいて、後悔している人が誰もいない様な空間で、とても良くて、でも、伯父のことを話そうとすると、自動的に泣けてくる。

この日はそのまま泊まらせてもらって、水曜日に家に帰ってくることになったので、母親と葬儀屋さんに行って、手順の確認とお願いをして、晩御飯を食べて帰宅。お通夜はせず、葬式も、家のお墓が大阪なので、納骨の時にお経をあげてもらうことにしたので無し。

水曜日はお世話になった方達が家に来てくれて、お線香をあげてくれて、で、ほぼおしまい。顔を見るだけなら平気なのだけど、話しかけると涙が出てくる。

木曜日、授業は休講にしてもらって、火葬。簡単に骨になってしまう。CX-8の三列目を初めてちゃんと使いました。

自分の生活はあまり変わっていないのだけど、バランスが少し変わった感じ。家の中とか外とか、そういうところはこれから変わっていくのだと思う。

投稿者 tomonokatsumi : 2018年05月26日 11:38

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